AIの利用権を割り当てられた社員は、メールの時間が週約1.4時間減り、会議の時間に明確な変化はなかった
66社の社員7,137人を、Microsoft 365 Copilotの利用権を割り当てる人と割り当てない人に、くじ引きのように無作為に分けた実験があります。米国の全米経済研究所(NBER)が公開している論文の2025年11月の改訂版によると、導入から4〜6か月後、利用権を割り当てられた人では、メール関連のアプリを使う時間が週約1.4時間減りました。通常の勤務時間外の作業も、週約15分減っています。会議の時間や、観測できる仕事の量と構成には、明確な変化は確認されていません。
この数字はアプリ上の利用時間で、仕事全体の時間や成果を測った値ではありません。研究は、Microsoftの研究者を含むチームによるワーキングペーパー(学術誌に掲載される前の論文)です。少なくともこの実験では、AIを使える環境を用意しただけで会議や仕事の構成が変わる様子は確認されませんでした。
効果が課題によって違うことは、ほかの研究でも報告されています。経営コンサルティング会社のボストン コンサルティング グループ(BCG)のコンサルタント758人を対象にした2023年の無作為化実験(ハーバード・ビジネス・スクールなどの研究者がBCGと協力して実施。学術誌Organization Science、2026年)では、当時のGPT-4がこなせると研究者が判断した課題で完了数が12.2%増えた一方、その範囲を越える分析課題では、AIを使った人の正答率が平均約19ポイント下がりました。どちらも特定の課題と時期の結果で、自社の業務で同じ効果が出るという意味ではありません。
架空の研修会社の例:初回面談は、顧客と次の行動を決めて終えることを目指した
研究から分かるのは、効果が仕事ごとに違うことと、個人の時間が減っても組織の仕事が変わるとは限らないことまでです。HubSpotの導入や、CRMとAIを業務に組み込む支援をしている株式会社100は、AIを業務に入れる前に、誰の何が良くなれば成功かを決めることを勧めています。この「誰の何が良くなれば成功か」を、ここでは目指す結果(アウトカム)と呼びます。
例として、法人研修を提供する「アルテラ・キャリア株式会社」を考えます(説明のために作った架空の会社で、社名は仮に付けたものです。実在の会社とは関係ありません)。アルテラ・キャリアは、研修の問い合わせから初回面談までの準備にAIを使い、面談前の準備メモを作らせることにしました。問い合わせの文面は、受け付けた時点で顧客管理システム(CRM)に記録されます。AIは、その文面と、これまで担当者が1件ずつCRMから探していた過去のやり取りや以前の案件の記録を集めて並べます。
アルテラ・キャリアは、初回面談の目指す結果(アウトカム)を、面談の終わりに、顧客と次の行動を合意できていることに定めました。次の行動は、提案を受けて検討する、社内で検討を続ける、今回は見送る、のどれでもかまいません。
見送りも含めたのには、理由が2つあります。1つは、間違った提案をしないためです。対象者や人数、社内で承認する流れが分かっていれば、その状況に沿った提案を出せます。もう1つは、顧客にとって必要のない面談を勧めないためです。面談の設定数を目標にすると、今は研修を必要としない相手にまで面談を勧めたくなります。見送りも目指す結果に含めておけば、そうする理由がなくなります。受注は、価格や競合、予算の時期にも左右されるため、この目指す結果とは分けて、その後の商談で確かめます。
次の行動を合意できるかを左右するのは、面談で何を聞き、何を説明するかです。AIの準備メモには、担当者が知らない経緯が並び、面談で聞く質問の案と、アルテラ・キャリアが提供できる研修の範囲も載っています。担当者は根拠を確かめたうえで、使う質問を選びます。
準備メモに、前年度に聞いた「予算1,500万円」。どの記録を使うかを、誰も決めていなかった
使い始めて間もなく、顧客の人事担当者から次の問い合わせが届きました。
「営業部の新任管理職40名について、来月以降の研修を検討しています。半年間の育成プログラムと考えていますが、まず20名で試す案もあります。予算はまだ承認されていません。部長に提案する前に、対象者と進め方を考えておきたいので、来週30分ほどご相談できますか。」
顧客が面談に求めているのは、部長に提案する前に、対象者と進め方を考えることです。ところがAIの準備メモには「予算1,500万円」と書かれていました。この1,500万円は、前年度に同じ顧客から別の相談を受けたときに聞いた、予算の希望の上限でした。
AIは、CRMにあるこの顧客の記録を、すべて参照していました。どの案件の、いつの記録を使うかは、誰も決めていませんでした。担当者は面談の2日前、メモを問い合わせの文面と見比べて食い違いに気づき、予算を「未確認」に直しました。メモの文章だけを読んでそのまま面談に使っていれば、顧客が約束していない予算を前提に話が進んでいたところです。
前年度の記録を今回の案件と分けて読ませると、面談で聞く質問になった
面談の前に、担当者は、今回の案件と前年度の相談を分けて読むようAIに指示し、メモを作り直させました。すると前年度の記録は、「前年度のご相談では、予算の上限を先にうかがっていました。今回は、どなたがいつ予算を承認されますか」という質問の案に変わりました。面談は、アルテラ・キャリアが2日後までに最初の提案を送るという合意で終わりました。
問い合わせから分かる質問なら、担当者でも考えられます。取引が長く、やり取りや案件の記録が多い顧客ほど、担当者がすべてを読んで質問にまとめるのは難しくなり、AIに任せる価値が上がります。ただしそれは、記録が案件と時点で分けてある場合です。
同じ誤りを繰り返さないために、記録・接点・人の3つの条件を見直した
メモが誤っていれば、顧客と次の行動を合意できません。担当者が1件のメモを直しても、AIがどの記録を読むか、誰がどこで確かめて直すかが決まっていなければ、次の担当者のメモで同じ誤りが起きます。直す必要があるのは、メモを作る仕組みのほうです。仕組みのどこを直す必要があるかは、次の3つの条件で確かめます。
- 記録の基盤(Foundation):AIと人が使う記録を、信頼できる状態に整えること。どれを正式な記録とし、誰が更新するかを決め、記録の重複や結び付けの誤りをなくす
- 確認の接点(Interface):人とAIが仕事を進める画面や手順。担当者が根拠を確かめ、訂正し、その結果を記録できるようにする
- 組織に残す力(Transfer):AIの仕組みの運用と改善を、外部の支援を受けていても自社で判断できる状態にすること
株式会社100は、この3つを頭文字からFITと呼び、これまでのお客さまへの支援から整理した、AIを業務で使い続けるための条件と考えています。
アルテラ・キャリアは面談のあと、次の案件で同じ誤りが起きないよう、この3つの視点で、それぞれ次のものを見直しました。
- 記録の基盤では、記録の分け方を見直しました。今回の問い合わせと前年度の相談を別の案件として分け、どの案件の、いつの時点の、希望か承認済みかが分かるようにしました。前年度の記録は消さずに、「前年度の別件」という印を付けて残しています
- 確認の接点では、メモの画面を見直しました。予算の値の横に出どころと時点と「未確認」の状態を並べ、担当者が問い合わせの文面を開いてその場で直し、確認した結果を残せるようにしました
- 組織に残す力では、役割の分担を見直しました。見つかった誤りを誰が受け、「前年度の希望の上限を、今回の予算として扱わない」のような共通のルールを誰が変え、問題が起きたら誰がAIの利用を止めるかを決めました
1つの条件だけを直しても足りません。記録を分けても、画面に出どころが出ていなければ、担当者は別の案件から来た値に気づけません。画面を直しても、訂正を受けて共通のルールを直す人がいなければ、次の担当者のメモで同じ誤りが起きます。
自社でAIを使う前に、1つの業務で決めておくこと
自社で試すときは、AIを使う業務を1つ選び、アルテラ・キャリアの例にならって次の項目を決めます。
- 目指す結果(アウトカム):1つの仕事の単位で、どうなれば成功か(例:初回面談の終わりに、顧客と次の行動を合意できている)
- 記録の基盤:AIにどの案件の、いつの記録を読ませるか
- 確認の接点:担当者が、どの根拠を見て、どこで直すか
- 組織に残す力:誤りを受ける人、共通のルールを変える人、利用を止める人
- 比べる選択肢:AIを使わずに、記録のルールや画面を直すだけで同じ結果を得られないか
全部に完全な答えがなくても構いません。答えが出ていない項目は、誰がいつ確かめるかを決めて残します。
AIを使える環境を用意した次に、1つの仕事の目指す結果と3つの条件を決める
冒頭の実験では、AIを使える環境を用意しただけで変わったのは、主にメールの時間でした。組織の仕事を変えるには、AIを使う仕事を1つ選び、その仕事の目指す結果を、確かめられる形で先に決めます。誤りが起きたときは、記録・接点・人の3つの条件のどこを直す必要があるかを確かめます。
AIを使い続けるかは、その仕事の目指す結果を達成できた件数と、重大な誤りの有無で決めます。


